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[創世記21:33]

神様の信仰告白
不動産編

 






 




 聖書箇所 創世記二十一章三十三節

 「アブラハムはべエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、    主の御名で祈った。」

 泉パウロ牧師


 土地の所有権や地境をめぐっての争いは古今東西、絶えることなく起きています。中でも最大級の土地争いは国有領土をめぐり諸国間で争われる戦争でしょう。人は時に領地獲得や所有地保護のためにも、大きな争いをします。これは、イエス様を十字架にかけた祭司長とパリサイ人たちが議会で言った言葉です。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行なっているというのに。もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」貪欲にかられた彼ら宗教家たちは一人の人命より、自分たちの土地と財産を守ることを最重視したその選択の誤りから、後に神様のひとり子、彼らの軽んじた一人の人命イエス様をさえ十字架で殺してしまったのです。土地は生活するうえで大切な要素ですが、決してこれらが人を救うものでもなく、守るものでもなく、永遠に留まれる完全なものではないことを忘れてはなりません。すべての所有地も財産もこの世で生きる限り神様から賜物として管理を託されているのであり、やがて個々人に託された土地の使用状況が神様から問われ、すべてが清算され、世界が新天新地に変えられる日が訪れます。多く土地を任された者も、そうでない者もただ謙遜に誇らず、万物すべてを創られ、その中に生かしてくださる神様を命の源とし喜び誇るべきです。私たちはみな神様の只中で愛されて、生き、動き、存在しているからです。

 アサフという聖歌隊長は詩篇の中でこのように神様を賛美しました。「この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。・・・私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」なんと幸福な人生観でしょうか。神様を人生の喜びとし、神様ご自身を「私の分の土地」と告白するとき、その人はいかなる環境でもしあわせに暮らせる人生の勝利者、暮らしの達人なのです。

 反対に神様をわが土地とせず、この世に見える土地だけを生活の基盤に定めた人にアハブ王の失態を覚えます。彼は一国の王としてすべての物質に十分満たされていましたが、物質だけでは人の心は満たされません。物質所有だけに幸福を追求するなら、人は物質を得れば得るほど心の渇きと更なる所有欲におぼれます。アハブ王は隣人の肥えたぶどう畑をほしがり、その欲望が満たされなかったとき隣人を殺しぶどう畑を取り上げました。愚かなアハブ王の目には神様の御怒りと隣人の命より、ぶどう畑が大きく思えたのです。  

 最後に信仰で土地を購入した義人アブラハムを紹介します。一本の柳の木 ユダヤ民族の起源は族長アブラハムがカルデヤのウルを出て後、パレスチナに来た時から始まります。創世記二十一章三十三節によると、信仰の父アブラ ハムはベエル・シェバに着くと先ず第一にそこに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神様、主の御名によって祈りを捧げたとあります。この記念植樹には深い意味があります。それは将来アブラハムとその子孫たちに見渡す限りのパレスチナの全地を与えると約束してくださった神様を信じきったアブラハムの生きた信仰の行ないであり、アブラハム自身「神様が与えると約束して下さった土地に確かに根を降ろしましたよ。」という神様への信仰告白となる生きた証しでもあったのです。そしてこの柳の木が全ての異邦人の手前、はっきりとした土地所有の確かな証拠でもあったのです。

 私が以前、借家住まいだったころ私は敷地内の小さな庭に各種の野菜や一年で終わる樹化植物などを熱心に植えましたが、決して成長して深く根を張る大木は将来の引越 しを考えて植えませんでした。引越しの際、後で根を張り巡らした大木を移すことは大変な作業であり、将来マンションに引っ越すならばなおさら置く場所もありません。しかし、アブラハムは信仰の人です。水を多く吸い上げ深く広く根を張り巡らす柳の木をわざわざ当時ぺリシテ人の多く住む土地の真中に堂々と植え込んだのは将来を見据えて行なわれた勝利宣言であり、将来見渡す限りのパレスチナ全域をアブラハムとその子孫たちであるユダヤ人が繁栄して広大な土地を獲得して永住型の全面支配をするようになりますよという大胆な信仰告白の現われだったのです。

 

 信仰の父アブラハムは父なる神様のひな型でもあります。今もすでに私たちのためにも私たちの生まれる前から一つの生きた証しとしての一本の木が父なる神様によって 大胆にすべての異邦人が見る前で世界の真中に記念植樹されています。それはアダム以降失われ、サタンの手中にあった全世界と御自身の民をもう一度全部取り戻すという、父なる神様の信仰の勝利宣言であるカルバリ山に植えられたイエス様の十字架の木です。イエス様の十字架が私たち神様の種族なるクリスチャン発祥の記念であり、起源なのです。クリスチャンの歴史はいつも十字架の木との出会いから始まります。今日多くの敬虔なユダヤ人がベエル・シェバを巡礼する際、柳の木を心に留め、神様との約束パレスチナ全域支配を思いめぐらすように敬虔に私たちがイエス様の十字架の木を見つめる時、そこにある血潮が失われた全世界と神様の選びの民を全部この世から取り返す力と希望を与える、父なる神様の生きた証しとなるのです。十字架の木こそ全ての世人の前でやがて全世界を取り返す私たちの確かな動かぬ証拠なのです。

 

 今はまだクリスチャンの数も所有地も社会的、政治的影響力も小さくて異邦人たちが多く満ちていようとも、たとえ軒に軒を連ねる狭い都会の借家暮らしでも将来は必ず十字架の木を生きた証拠に見渡す限りの全世界を全面獲得できるクリスチャン永住型全面支配の日、全地に根を張り巡らす繁栄の日が来るのです。それがイエス様の地上再臨以降、呪いが全地の表から取り除かれた狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とする(イザヤ六五・二五)千年王国です。ハレルヤ。




 
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